インドの洗礼 −コルカタ


コルカタでどんな”インドの洗礼”が待ち受けているか、と相当ビクビクしていたけれど、「気安く寄って来ないで」的なオーラを、わたしはかなり発していたのかもしれない。怪しい日本語を話すインド人がいるから気をつけて、と聞いていた安宿街のサダル・ストリートでも客引きからそこそこ声はかけられたけれど、嫌な思いをするほどでは無かった。

ただ、コルカタ観光で楽しみにしていたカーリー女神寺院を訪れた時には、そこに集まってきた人達の熱気と迫力に、圧倒された。 ここにはインド各地から参拝者が訪れるらしい。
「外国人は100ルピーで別の入り口から案内するよ!」という怪しいガイドを無視して、インド人参拝者と同じ列に並び、女神の祀られた建物内に入る順番をゆるゆると待った。そこまでは良かった。

建物に入った途端、久しぶりに東京のラッシュ時の満員電車を思い出した。いや、それを上回っていた。女神に少しでも早く近づこうと殺気立った人々に押され、割り込まれ、身体のどこかがつぶれてもおかしくない状態。観光客の”順番”なんて常識が、信仰ある人々に勝てるわけがないのだ。狂気を感じた。ようやく外に出た時、寺院に入るために裸足になった足には、お供え用の花々の残骸と、泥と、血のようなもの (おそらく女神に捧げるために断首されたヤギのもの)が、べとべとと絡みついていた。

コルコタはインド第三の都市で、人口は1,400万人以上。
街を歩いていると、人と車の多さ、そして張り合うようにけたたましく鳴り響くクラクションに、めまいを感じた。とにかく人が多いので、日中であれば、貴重品を守る必要はあっても身の危険を感じることは無かった。

まだ始まったばかりのインドで、警戒アンテナ総立ちだったけれど、ちょっと離れたツーリストオフィスに行った帰り、宿まで歩いて帰れると思った道の途中で、迷ってしまった。
そのとき道を尋ねた父娘の親子が、「わたし達も同じ方向に行くけれど、時間が無いのであのバスに乗ります。良かったら一緒に」と言ってくれたので、既に走り出しかけているバスに、一緒に飛び乗った。
乗ってから、父親の方はすぐに席を確保すると、手招きしてわたしを座らせてくれた。さらにわたしの分のバス代まで支払ってくれた。慌ててお財布から慣れないルピーを取り出すも、結局、受け取ってくれなかった。

バスを降りてから、クラクションが鳴り響き人と車が交錯するカオスな道を渡る時、父が娘の手を取ると娘がわたしの手を取った。そして、一瞬制された後「さあ!」というタイミングで、3人で足早に駆け抜けた。おそらく、わたしよりも10歳以上若いその娘が優しく握ってくれたその手に、力強い温かさを感じて子供に戻ったような安心感をおぼえた。 感動した瞬間だった。

悪くない印象で始まったことがうれしい、インド。
この先には、どんな驚きや発見と、幻滅が待ち受けているんだろう。