エチオピアで起こったある小さな事件に関する長い話₋3


翌日は一番楽しみにしていたムルシ族の村の訪問。けれどもわたしの心は全くワクワクしていなかった。約束の6時にホテルの受付前に行くも、デリックの姿もバンビーノの姿も無かった。わたしは今日一日のことを考えていた。「デリックはどんな顔してわたしの前に現れるんだろう?」「残り2日間を彼と一緒に安全に過ごせるんだろうか?」

6時半を過ぎても誰も現れない。わたしの不安な様子を察した夜営の人が、ビニを呼びに行ってくれたおかげで、まだ眠そうな姿のビニがやって来た。彼は4時近くまでわたしの部屋の前で、誰も近づかないように見張っていてくれたらしかった。

ビニが来てくれて、ちょっと不安な気持ちが緩んだわたしは、「もうムルシ族の村も行かなくていいから、早くアディスアベバに戻りたい」「エリックの車には、恐くて乗りたくない」と、思っていることを正直に訴えた。
彼は「そんなこと言わないで」「ムルシ族の村は絶対に行った方がいい」「必要なら僕が一緒に行くから」と言ってくれた。そして、わたしの気持ちをリフレッシュさせるために「ホテルの周りを散歩しよう」と誘ってくれた。朝日を浴びながら静かな小道を歩いていると、少しずつ気持ちは落ち着いてきた。

ホテルに戻ると、デリックとバンビーノがそろって待っていた。さすがに正気に戻っていたデリックは、しきりとわたしに頭を下げて謝ってきた。よくわからないけれども、バンビーノは「解雇された」ということで、ここで別れて出て行くことになった。もうデリックと二人きりには絶対になりたくなかったわたしは、再び「ムルシの村には行かない!」とビニに訴えた。

朝からデリックの携帯電話は鳴りっぱなし。既に何事かが起きていることを知った旅行会社のマネージャーが何度も電話をかけてきて、わたしと直接話したがっていた。けれどもこの込み入った状況をわたしの拙い英語でうまく説明できるはずもなく、ビニに電話を渡し、マネージャーとビニとで話してもらった結果、ムルシ族の村まではビニが一緒について来てくれることになった。彼はガイドでは無いけれど、ムルシ族の言葉を少し話すことができたのだ。

ようやく話がまとまり、チェックアウトして車に乗り込もうとした時、突然、わたしはヘッドライトが無いことに気がついた。早朝の暗い中、受付前で一人で待っていた時、そのライトで周りを照らしていた。ビニが来てくれて散歩に誘われた時に、リュックに入れずにイスの上に置いたまま出てしまったのだ。散歩から戻って来た時、既にわたしの荷物は車に積み込まれていた。

「バンビーノが持って行ったに違いない」なぜか、一瞬のうちにそう思った。彼は解雇されて既に出て行ったあと。あの時ちゃんとカバンに入れなかったことを、ひどく後悔した。妹夫婦が、この旅のお餞別のひとつとしてプレゼントしてくれたヘッドライト。これまでもずいぶんとお世話に
なってきた。それを盗られてしまった…
ホテルの人達にも探してもらったけれど、出てくるわけがなかった。あきらめて、ムルシ族の村へと向かった。

* * *
ムルシ族の村は、期待通りに刺激的だった。気持ちを切り替えてビニに付き添ってもらい、行って本当に良かった。

昼食をとるためにジンカのホテルに戻ると、「ライトが見つかったよ!」と言って、笑顔でスタッフが迎えてくれた。「え!? どうして?? どこから??」と矢継ぎ早に聞くわたしに「ガイドが持って行ったんじゃないかと思ったんだ。ホテルを出て行く時、彼のズボンのポケットが膨らんでいたのが気になって」「だから、彼を見つけてチェックするようにポリスに頼んだんだ。君には言わなかったけれど」とビニ。驚くべき観察と手際だった。

とにかくライトが戻って来たことで、わたしの気持ちはだいぶ明るくなってきた。問題は、この後のアディスアベバまで戻る道中だった。今朝以来、デリックは神妙な様子ですっかり小さくなってしまったとはいえ、アルバミンチに今日一泊してから戻るという長い道のりを、彼と二人だけでドライブするのは絶対に避けたかった。
ビニと相談した上で、相変わらず数時間おきに電話をしてくる旅行会社のマネージャーに、「デリックと二人で帰るのは嫌。ビニにアディスアベバまで付き添ってもらいたい」と訴えた。とにかくわたしを無事にアディスアベバまで戻すことが第一と考えたマネージャーは、二つ返事でokしてくれた。

こうして、マンゴーのおかげでわたしと関わることになったビニは、ホテルでのアルバイトを辞めて、アディスアベバまでわたしのボディーガードを務めてくれることになった。

アルバミンチは、ビニにとっては大学がある地元の街。最終日は、時間的に少し余裕があったので、今回のツアーの予定には無かった見どころにも、旅行会社には内緒で案内してくれた。

アディスアベバまで戻る夕方のドライブの間、しばらくデリックと話していたビニ。時々デリックが興奮した様子で話しているのが気になった。
ひととおり話が済んだ後、ビニは「ゴメン、話し込んでしまって」「デリックの運転が不安定だから『疲れているなら僕が代わりましょうか?』と提案したんだ。彼は断ったけれど」「彼、会社から解雇されたらしい」と教えてくれた。

驚いて、しばらく茫然とするわたし。
いったいあの旅行会社の人達は何を考えているの?  既に精神的に不安定なことが露呈しているデリックに、まだ長時間のドライブが残っているにもかかわらず、解雇を言い渡すなんて、信じられない。どこまでわたし達を危険にさらすつもりなの?
わたしの怒りは頂点に達した。それと共に再び不安と恐怖に襲われた。

結局、アディスアベバのホテル前に到着した時刻は予定をはるかに超えていた。わたしも、ビニも、デリックも疲労困憊だった。ご機嫌をとるようなわざとらしい明るさで迎えに出て来た旅行会社のスタッフ達に、わたしは愛想を見せる余裕もなく、早く部屋をとって引き上げたかった。
こんなことの後だから「部屋は予約しておく」と電話で言っていたマネージャー。案の定、予約のみで、支払いはされていなかった。

明日あらためて関係者で集まって事情を明らかにする、ということになり、クタクタになったわたしとビニは、お互いの部屋を確認して別れた。