波乱の幕開け、ヨーロッパ編


2014年9月11日にコロンビアから帰国。約2ヶ月間日本に滞在した後、11月17日に成田から北京に向けて飛び立った。そこからシベリア鉄道でモスクワを目指し、いよいよ私にとって旅の第二章、”ヨーロッパ編”が始まった。
実はこの文章を書いてる現時点(4月半ば)で、ヨーロッパに来てから既に5ヶ月が経過しているのだけれども、気をとりなおして…

今思い出してもどっと疲労感に襲われるくらい、この旅の始まりは波乱の幕開けだった。
結論から言うと、シベリア鉄道の中で、また盗難に遭ってしまったのだ。しかも、初日に。

南米後半からもうさんざん盗難ネタが続いているので、詳しい状況報告は割愛(書くのもウンザリ)。北京からの乗車初日に盗難に遭ってから、その後の降りるに降りられない5日間は本当に、精神的にシンドかった。

シベリア鉄道自体は、その範囲の切符を買えばいくらでも途中乗車・下車できるのだけど、わたしの場合は諸々の事情で出発が延び延びになってしまったため、11月21日にロシアに入国した時点で、30日で取ったビザは残り一週間になっていた。シベリア鉄道で終点のモスクワまで行ってから、そこで乗り換えて、更にサンクト・ペテルブルグまで行って数日過ごすことは決めていたので、途中下車している余裕は全く無い。
車掌に被害状況を伝えたものの、もちろん正式な被害届にはならず。モスクワに着いてから警察に行くまで、打てる手は何も無かった。

11月後半のシベリア鉄道の車窓からの眺めは、まさに”凍てつく”という言葉がぴったりだった。
楽しみにしていたバイカル湖はどんより灰色。ところどころ凍りついた上には雪が積もっていて、世界一の透明度を実感することは全くできず…。盗難に遭った時は4人用のコンパートメントに独りきりだったので、このまま終点のモスクワまで一人で悶々と過ごさなければならないのか…と思うと、気持ちはさらに暗く沈みこんだ。

想像してみてほしい(いや、しないでほしい)、うら若き(とはいいがたい)乙女が6日間シャワーを浴びずに過ごす状況を…。恐ろしい。
安い二等車を選んだ時点で、シャワーが無いことは分かっていた。でもそこはなるべく想像しないよう目を背けてきた。今までにも、南米でチャレンジした登山で、2泊3日シャワーを浴びれないことは何度か経験していたし。でもそれを大幅に更新する6日間。男性用の清涼系ボディ・ウエット・シートを持って来た自分を大いに褒めてあげくなった、まるで耐久レース。

日本に二ヶ月もいたことですっかり日本の安全な生活に馴染んでしまっていたわたしは、今回の再出発に際し自分でも驚くぐらい大きな不安に苛まれていた。もしかすると、何も知らなかった2013年夏の出発時の方が、気持ちはずっと落ち着いていたかもしれない。この一年数ヶ月で「なんとかなる精神」を随分と鍛えたつもりだったのに、まだこんなにも自分の気持ちは小さいのか…と自分に対して大いに幻滅した。日本の快適さや家族の温かさから再び離れることに、余りに後ろ髪引かれる思いを抱いていたせいで「だったら日本へ帰れ」と神様が荒技をしかけてきたのではないかと、例によって誇大妄想、ネガティブ爆発。

けれど、途中からは入れ替わり相部屋の同乗者が現れた。中でも、クラスノヤルスクからエカテリンブルグまで一緒だった三人組は、英語はほとんど話せなかったけれど、食事の時間になると、毎回小さなテーブルいっぱいに持ち込んできた食料を広げて、鶏肉やサーモンの燻製、サラミ、ソーセージパイ、ゆで卵、パン、お菓子、チョコレートetc…そしてビールやウォッカまで、惜しげも無く振舞ってくれた。
初めて飲むウォッカ。喉を通り過ぎると同時に、食道から胃にかけてクワ~と熱くなる感覚。言葉は通じていないのに、まるで宴会。小さな閉め切ったコンパートメントの中は、常にウォッカの匂いが充満していて、一日中わたしは酔っ払ったようなフワフワした気分に浸っていた。

終点モスクワの少し手前で乗ってきた初老の女性とは、最初は挨拶をする程度だったのだけれど、英語が通じたので、盗難のことを話してモスクワの警察署や大使館のことを聞いてみた。するとものすごく同情してくれてモスクワに着いてから、人に聞きながらも途中まで一緒に来てくれた。別れ際には、モスクワの駅までの戻り方を書いたメモと共に、まだロシアのお金を持っていなかったわたしに200ルーブルをそっと握らせて去って行った。彼女の名前も連絡先も聞いていなかったことを、わたしは今ものすごく後悔している。

何かトラブルや窮地に陥ってもがいている時、ふと救世主のような人が現れて助けてくれたことが、この旅の中で何度もあった。その度に「わたしの運はまだ尽きたわけじゃない」と自分に言い聞かせて、折れそうな気持ちを鼓舞してきた。

ようやくサンクト・ペテルブルグの宿に落ち着いた時(この時、実に6日振りのベッドにありついた)、弱った気持ちから、サンクト・ペテルブルグから成田行きのフライト・チケットの値段を調べさせてしまった自分を今なら笑って許してあげたい。あぁ、あの時調べたチケットが予想以上に高くて本当に良かった、と今は思う。「ここは日本じゃないんだから、気を引き締めろ」という強烈なボディブローと共に、わたしのヨーロッパの旅は幕を開けた。

絶対的に時間が足りなかったロシア。こんな始まりだったけれど「もう二度と行くか、バカやろう」ではなく、きっとまた訪れて、この国についてもっと多くを知りたいと強く思う。