美しき古都 クラクフから


バルト三国のリトアニアを出て次に訪れたのが、ポーランド。首都ワルシャワで数日過ごした後、旧市街が美しい古都で有名なクラクフに移動した。ここで、2014年のクリスマスと年越しを迎えた。

幸運にもロシアのサンクト=ペテルブルクの宿で出会った日本人の一人旅の女の子と、同じ時期にクラクフで落ち合うことができた。だから、2013年にネパールで一人盛大に祝ったクリスマスやお正月と違って、イブは彼女と小さなレストランでポーランド料理のディナーを楽しむことができたし、大晦日には、彼女が持参していた貴重なお餅を分けてもらって、砂糖醤油でホッコリいただいた。

日本ではクリスマス・ディナーといえば、おそらくレストランにとっては一年の中で最も書き入れ時だろう。カップルはもちろん、友人同士や家族でも「ちょっと普段よりも豪華で贅沢な外食をする日」。だから街のレストランは、予約が必要なくらい混み合っていて、飛び入りでは入れてもらえない事態はあっても、営業しているレストランが見つからない、ということは想像できなかった。

ところがヨーロッパではクリスマスといえば「家で家族で過ごす日」なのだろう(大都会になると違うのかもしれないけれど)。だから久しぶりに少し贅沢なディナーを楽しみたかったわたし達なのに、そもそも営業しているレストランを見つけるのが大変で、ようやく見つけたのがホテルに併設されたレストラン。そこもほぼわたし達で貸切り状態。途中で宿泊客らしき人が食事に訪れたけれど、クリスマス・ディナーという感じではなく、一人でさっさと食べて出て行ってしまった。わたし達も夜8:00には閉店を告げられて、あえなく退散…。

逆に日本では、大晦日とお正月こそ実家へ帰って家族で過ごす人が多いように思うけれど、ヨーロッパでは、街に繰り出して夜通しパーティー、朝まで飲み明かす、という位置付けのようで、31日の夜に10人用のドミトリーでおとなしく眠ろうとしているのは、わたしと彼女くらいだった。

2015年1月1日にここクラクフからイタリアまで飛ぶフライトチケットをわたし既にはとっていた。それまで時間はたっぷりあったので、最初はどこか別の町へも泊まりで行ってみるつもりだった。けれど、この時期の寒さと、クラクフで泊まった宿の居心地の良さもあって、結局10日以上をクラクフで過ごした。この時期、旧市庁舎前の広場には大きなツリーとクリスマス・マーケットが出て毎日賑わっていたし、観光客向けの馬車の女性の御者に見惚れながら手を振ってみたり、薄っすらと雪の積もった美しい旧市街を歩き回るだけで全く飽きなかったけれど、クラクフに来た観光客の多くが訪れるだろう歴史的なあの地は必ず訪れよう、と決めていた。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。
ここへはバスや鉄道を利用して個人で行くこともできるのだけど、ガイド無しで入場できる時間帯が決まっていると聞いたことと、やはり今回はガイドの説明を聞きながら見学したいと思ったため、クラクフの街の旅行会社でガイド付きのツアーに申し込んで、参加した。

ただ、ひとつ後悔していることがある。
この旅にでる前に誰かのブログで読んで、クラクフに日本人のガイドがいることを知っていた(はずだった)。ところがツアーを申し込む時にはそのことをすっかり忘れていて、いつも通り現地の英語ガイドのツアーに申し込んでしまったのだ。現地でガイドと落ち合って、参加者それぞれが出身地の自己紹介をした時、彼女から「クラクフにも日本人のガイドが一人だけいるのよ」と言われて「そうだった!」とようやく思い出した。実際、後から同じ宿で出会った日本人のカップルが、わたしが行った数日後にアウシュビッツを訪れた時は事前に日本人ガイドと連絡をとって、お願いしたと話していた。

それはさておき、わたしが訪れたのは12月26日。さすがにクリスマス・イヴと当日は避けて。
その日の気温は確かマイナス10度くらいで、クラクフ滞在中の最も気温の低い日だったように思う。アウシュビッツは、広い敷地内に当時使われていた収容施設や実験施設が点在していて、そのうちのいくつかが、現在、写真や当時実際に使われていたものの展示スペースになっている。訪れた人たちは、ガイドの案内を聞きながらその個別の建物を次々と移動していくことになるのだけれど、ガイドもわたし達参加者も、外へ出る度にガタガタと震えながら、鼻をかむのを止められず、いつしかガイドの声も、歯の根が合わないという感じで震えていた。

いつも思うことだけど、その日の天気ひとつで、訪れた場所の印象というのは随分かわってくるものだ。仮にここに来たのが春うららかな日、道端に咲く花々さえもまぶしい快晴の日だったとしたら、衝撃的な写真を見ながら、当時行われた凄惨な事実の話を聞いても「ここでそんなことが行われていたなんて信じられない…」となっていたかもしれない。けれど、わたし達が訪れたのは真冬の零下の日で、ガイドから「今日のあなた達なら、過酷な環境に置かれた当時の彼らの状況の一端がわかるかもしれませんね」と言われた時、わたしはあまりの寒さに耐えられず、途中から持参したホッカイロを背中に貼り付けていたにも関わらず、それでも「もしわたしが同じ状況に置かれたら、生き延びるよりも、自ら死を選んでいたかもしれないな…」と思ったものだった。

ここクラクフには、もう一つ有名な場所がある。ヴィエリチカ岩塩坑。
滞在中にここへもツアーで行ってみたのだけれど、予想に反してエンターテイメント性あふれる場所で驚いた。鉱山といえば、ボリビアのポトシに行った時、現在も稼働している鉱山をツアーで見学したことがあった。そこを訪れた時は、事前に話を聞いてはいたけれど、それを超える過酷な状況を目にして衝撃を受けた。その時の印象が強かったせいか、ヴィエリチカの場合はいわゆる鉱山ではなく、また岩塩の採掘も現在は中止されているのだけれど、稼働当時の「過酷な実態」を写真や映像で見ることになると思い込んでいた。

ところが実際に行ってみると、塩の白い結晶が泡のように壁や天井の隙間を埋める細い坑道を進んだ先には、岩塩で作られた様々な彫像や祭壇、あるいはシャンデリアが暗い地下で淡い光を浴びて佇んでいる。さながら、地中深くに隠された神殿を訪れたような気分だ。

もしかすると、このヴィエリチカ岩塩坑にも、過酷な労働や事故の歴史があるかもしれない。おそらくゼロでは無いだろう。けれど、クラクフには上述のアウシュビッツ強制収容所というあまりにも有名な負の遺産があるため、ここヴィエリチカではあえて暗い負の面を強調することはせず、エンターテイメント性を全面に出しているのかもしれないな、などと思いながら、その神秘的な趣きを存分に楽しんだ。