南米の仇をインドで打つ-1


この旅の最後に、どうしてももう一度インドを訪れたかった理由 ー

ラダックの名峰ストック・カングリ(6,153m)に登るため。

南米パタゴニアで突如として山に魅せられて以来、何度かチャレンジしてきた登山。
ボリビアのワイナポトシではビギナーズ・ラックに心弾けたものの、ペルー(ワラス)のピスコでは悔し涙とともに唇を噛み、リベンジのつもりで挑戦したエクアドル(キト)のコトパクシでも、高山病に苦しんだ末の敢え無く敗退。
あの時「もうしばらく登山はよそう」と思ったはずなのに、やっぱり諦めきれず。「この旅を終える前にどこかで雪辱を果たしたい」と密かに野望を温めてきた。そんな時に知ったのが、インド北部のラダックにそびえ立つストック・カングリ。6,153m。
二年に及ぶ旅を締めくくる最後の挑戦にこれほどぴったりな場所はない、とここに狙いを定めた。

旅を続けていると、日々、予定通りにいかない誤算の繰り返しだ。それはもう十分想定内のつもりだけれど、今回の登山を巡るエピソードも、予定通り、誤算の連続だった。

ラダックの中心都市レーへはデリーから空路で入ったため、一気に高度が上がる。
南米の高地で数ヶ月を過ごしたのは既に約一年前のことだから、ある程度の高山病症状に見舞われることを覚悟して、久しぶりにダイアモックスを飲んでいた。ところがレーに到着してから数日経っても一週間を過ぎても、なんとなく身体がだるいのと、首の後ろあたりに淀む鈍い頭痛は一向に引いてくれない。
ビザの関係上、インドに滞在できるのは最大でも一ヶ月弱。体調万全になるのをいつまでも待つわけにはいかず、「あと数日経てば良くなるはず」と信じて、まずは登山ツアーを催行している旅行会社を探すことにした。

レーの町には、予想をはるかに上回る数の旅行会社が軒を連ねていた。事前に聞いていたチャンスパ通りに向かい、旅行会社を10軒以上巡って話しを聞くと、それだけで一日が終わってしまった。
時は7月半ばのオン・シーズン。町には西洋人の旅行者やトレッカーが溢れていたし「Stok Kangri Expedition」の張り紙や看板を掲げた旅行会社は山ほどあったから、一緒に登る相手を見つけるのもたやすいだろうと踏んでいた。

ところが意外なことに、わたしが希望した時期に登る予定の人がなかなか見つからない。後から聞いた話によると、4月に起きたネパール大地震の影響で、今年は例年の同時期よりも旅行者が少ないらしい。
一人でガイドを雇って登るよりも、シェアする相手がいた方が費用の負担は軽くなるし、何より、お互いに励まし合いながら頂上を目指す仲間が欲しかった。ピスコの時のように、それが登頂の妨げになる可能性があることは十分承知の上で。
だから数日の猶予を設けることにして、旅行会社には「ストック・カングリ登山 同行者募集」の張り紙を出してもらうことにした。

そこからわたしにできるのは、待つことのみ。
レーに来てからというもの、体調が優れないことを理由にほとんど歩いていなかったので、足慣らしのつもりで近くのSabooという村を目指して、軽くハイキングに出ることにした。これが実は、大きな誤算のひとつ。
よく晴れ渡った日の朝、スマホに入れたオフライン・マップを頼りに悠々と踏み出したところまではよかったけれど、レーからSabooに向けてわたしが取った道のりは、炎天下で乾燥激しいラダックに無謀な挑戦状を叩きつけるようなものだった。陽が高くなり、ジリジリと照りつける太陽は全く容赦ない。途中からもう道とは言えない砂利のザレ場を二本の脚だけでは足りず、両手も使って何度もずり落ちながら登って行った。
それほど高くはない山をようやくひとつ越えたところで、残り少ないペットボトルの水にさすがに不安を感じ、「せっかくここまで来たけれど…」とひとしきり悩んだ末、町まで引き返すことにした。

今振り返ってみると、これは大きな誤算の後の救いの冷静な判断だった。
フラフラになりながらレーの町まで戻って水分補給し、宿に帰ってすぐにベッドに横になったものの、やがて発熱。その晩からぐんぐん上がり始めた。今思えば、完全に初期の熱中症の症状なのに(その前の行動を考えれば明らか!)、なぜかこの時は熱中症という発想に結びつかず、その数日前から蚊に数ヶ所刺されていたことを思い出して「ついにマラリアか、あるいはデング熱か…」と見当違いの不安。
39度まで上がった熱にうんうん唸りながらも、既に申し込んでいた登山をキャンセルした場合にどのくらいの違約金が発生するかを心配してうなされるという、我ながら呆れるほど滑稽な小心っぷりだった。