旅する理由


人は、”実現するための方法を考える人””できない理由を考える人” の2つのタイプに分かれると思う。

物事の善悪の間であれば、どちらとも判別しがたいグレーゾーンが存在するけれど、「やる」「やらない」かの間にグレーゾーンは存在しない。

常に前者のタイプ(実現を志向する人)でい続けることは、何かをやった結果として成功をつかむよりも、おそらくずっと難しい。

旅することを決断した大きな理由は、二つある。

一つめの理由。
いつからだろうか、おそらく30歳をいくつか過ぎた頃から、
「これは自分で決断して、納得いくまでやり抜いた」と思えることを30代のうちにやっておきたい、と強く思うようになったこと。
はじめはそれが何なのか、どんなことがふさわしいのか、自分にもわからなかった。

ただ一つ言えることは、何かから逃げるためではなくて、正々堂々と自ら選び取ったと自負できる状況で決断したいと強く思ったこと。とはいえ、逃げることが必ずしも悪いとは思わない。自分を保つために逃げる勇気が必要な時だって少なからずあるのが現実だ。
ただ今回は、自分にとって”攻めの決断”にしたかった。

二つめの理由。
「自分の中に価値基準を打ち立てたい」と強く思うようになったこと。
世間一般の常識だとか、「やっぱフツーはこうだよね」と外に基準を求めて、それに照らして自分の生き方を採点し、あげくの果てに落ち込むことが、なんだかとても馬鹿らしくなってしまった。

その先には決して幸せは見いだせない、と気づいてしまった。

日本で暮らしているだけでは見えてこない ”違い” の存在を認識すること。
人、暮らし方、景色、価値観、チャンス、夢… そこに浮き彫りになる様々な違い。
それを自分のこの目で見て、願わくば、そこから ”圧倒的な感覚” を得たい。

矛盾しているかもしれないけれど、旅することで自分の価値観がガラリと変わるとは思っていない。残念ながらそんな風に思えるほど若くはない。

ただ、現にこの世界に存在する多くの違いの荒波にさらされることで、いったん自分のキャパシティをMAXまで押し広げて、その中で、自分にとって譲れないもの、本当に必要なものを、明確に自覚できればそれでいい。たとえそれが今の自分と何ら変わらないものだとしても。

今、世界を見て回ることを決意した動機はこの二つ。

世界一周なんて、常識的に考えれば三十過ぎてから決断することではないと思ったし、むしろ老後の楽しみにとっておいて、今は目の前の安定した生活の中での楽しみを維持していくべき、そう思おうとしたこともあった。

でも、そうやって先送りした人生のその先に、本当に実現できる未来はあるの?

むしろ”余生を先取り”したっていいじゃない?

今、この溢れ出しそうな好奇心に時間とお金を思いっきり費やす贅沢を尽くすことで、旅を終えたあと、またそこから、その時の気持ちに従って頑張ればいいじゃない。

できない、やらない理由を並べ立てることは簡単。

でも、せっかく恵まれたこの ”やる気” を無駄にしたくない。

一生の内に何度も巡り会えない、これほどのやる気に恵まれたことこそが、きっと最大の幸運だ。

だから、35歳にして、今、世界を見に行くのです。